2013年1月19日土曜日

1月19日 尾道から三原へ


尾道から海岸ぞいに10キロほど歩くと三原にたどり着く。この季節の海からくる潮風は身を切るほど冷たかった事だろう…三原城は今も駅のすぐ近くに残っている。もう20数年も前の事になるが、夫婦で近くの民宿に泊まって、この小さなお城を訪ねたことがある。当時の城主は、叔父の秀吉を関ヶ原で裏切り、家康についた小早川秀秋である。 この三原城で、19日の夜見張りの目を盗みながら、トマス小崎は、母に向けて手紙を書いた。
「神の御助けにより、この手紙をしたためます。パードレ以下われわれ24名は、列の先頭を行く札に書かれた判決文のように、長崎で磔刑を受けるため、ここまでまいりました。私のこと、ミゲル父上のこと、ご心配くださいませんように。パライソ天国ですぐお会いしましょう。お待ちしております。たとえパードレがいなくても、臨終には熱心に罪を痛悔し、イエズス・キリストの幾多の御恵みを感謝なされば、救われます。この世ははかないものですから、パライソの全き幸福を失わぬよう、努力なさいますように。人からどんなに迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように。私のふたりの弟マンショとフェリペを、どうか異教徒の手に渡さぬよう、ご尽力下さい。私は母上のことをわれらの主にお
願いいたしましょう。母上から私の知っている人々によろしく申し上げて下さい。罪を痛悔するのを忘れぬよう、再び重ねて申し上げます。なぜなら唯一の重大な事なのですから。…安芸の国 三原城にて」

この手紙は、血に染まって殉教した父の衣服のふところから発見された。
この手紙が、お母さんに届いたのがどうかわからないが、こうして今400年の時をこえて私たちに語りかけてくれている。何が一番大切な事なのかを…。私も母となって、同じ年代の子供を持つ身として改めてこの手紙を読む時、悲惨さの向こう側に、こんなにもしっかりとした信仰に生きてくれている「我が子」からの手紙をもらったのだとしたら、トマス小崎のお母さんとってもうれしかっただろうなと想いをはせる。

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