26人、初めは24人だった人たちが、京都で捕らえられてから、ずっと長崎の西坂の丘まで歩いて行くのですが、1597年の今日、1月16日は、どの辺りを歩いていたのかというと、岡山辺りだったと記録に残っています。
はれた足をひきずって歩く、最年長のディエゴ喜斉の心はうずいた。岡山付近の小さな村に、彼のなつかしい故郷の家があったから…。ここ数年神の道にいそしむ彼は、普通の旅行ならちょっとでも顔を見せられるのに、今はそれもゆるされない。自分で書き写したキリスト受難の小さな本だけが、彼に無限の力を与えて支えていた。
夕暮れ時、川辺川の岸にたどり着いた。この夜、3日間彼らを慕い警護をつとめた役人明石掃部は、次の役人に26人の親しい友を引き渡さなければならなかった。それは悲しく不安なものだった。生きて会う事はない彼らを、しかも敵に渡すのである。これからの道はキリスト教を嫌悪し続けてきた毛利藩の領地を通らねばならなかった。
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